【インタビュー】 山中 竹春  横浜市長 〜その1〜

高校で出会ったラグビー
チームとしての結束力が一番の魅力

村上 このコーナーではラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。ゲストは横浜市長の山中竹春さんです。よろしくお願いいたします。今回は横浜市中区にある横浜カントリー&アスレチック・クラブ(YC&AC)での収録です。ここは歴史ある民間スポーツクラブとして知られていますね。
山中 YC&ACの始まりは、1868年(明治元年)に設立された「横浜クリケット・クラブ」です。この横浜クリケット・クラブが、横浜で活動する他のスポーツクラブと合併し、現在のYC&ACとなりました。合併したスポーツクラブのひとつに、「横浜フットボールクラブ」があります。1859年の横浜開港から間もない1866年に、横浜に駐屯していたイギリス陸軍の士官が中心となって設立されたクラブで、これが日本ラグビーの発祥だと言われています。この時期にラグビーのクラブができたというのは、すごいことですよね。世界でも最古のラグビーフットボールクラブのひとつです。

村上 施設を見学させていただきましたが、海外のスポーツクラブのようですね。
山中 YC&ACには、ラグビーやサッカーのできるグラウンド、数面のテニスコート、プールなど充実したスポーツ施設があります。また、イギリスの方が中心になったこともあって、パブやレストランもあり、異国情緒漂う雰囲気があります。こういった歴史を感じる施設が残り、いまも利用されているのは貴重ですね。

村上 横浜キヤノンイーグルスが開催する小・中学生のラグビーアカデミーの会場や、サッカーのJ3に所属するY.S.C.C.のトレーニング施設にもなっているようですね。
山中 はい。横浜市が今年5月に開催した、「2022ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会」では、スイムの練習場にもなりました。

村上 山中さんがラグビーと出会われたのはいつ頃なのですか。
山中 私は小学校に入学する前からいろんなスポーツに親しんでいました。ただ、生まれ育った地元にラグビースクールがなかったこともあり、ラグビーと出会ったのは高校(早稲田大学本庄高等学院)です。当時、学校で一番元気があったのがラグビー部の人たちでした。また、ラグビーを主題にしたテレビドラマの影響もあって入部しました。スクラムを組んだり、モールを組んだりするところをテレビで見たことはあったのですが、実際にプレーすると楽しくて、ラグビーに出会ったことで充実した高校生活になったと思います。

村上 ポジションは、フォワードだったそうですね。
山中 足が遅かったものですから(笑)。がっちりした身体ではないので、よく「バックスだったのですか?」と聞かれるのですが、スクラムを組んでいました。フッカーもやりましたし、フランカーをしたこともあります。

村上 どんな思い出がありますか。
山中 スクラムは、8人の息がぴったり合わないといけないんですね。スクラムハーフがボールを入れて、フッカーがフッキングする。ボールがスクラムから出るまでは、フォワード8人とスクラムハーフの計9人のチームワークが大事です。ここの息を合わせる練習を何度もやりました。

村上 ラグビーの魅力はどんなところだと思いますか。
山中 いろいろな体格の人がいて、さまざまな役割のポジションがあります。それがひとつのチームとして力を結集する。それが最大の魅力だと思うのですが、ボールの奪い合いもあれば、サインプレーでディフェンスを崩すところもある。いろいろな切り口で楽しめるのもラグビーの魅力だと思います。

村上 高校のラグビー部の練習は厳しかったですか。
山中 厳しかったですね。とくに暑い時期のスクラム練習は大変でした。スクラムマシーンを押す練習があるのですが、一度に10㎝くらいしか動かないんですよ。それを100mくらい押すわけです。来る日も来る日もやって大変でしたが、体力はつきましたね。

村上 ラグビー観戦はされていましたか。
山中 早慶戦、早明戦など大学ラグビーは見ていました。早稲田の今泉清さんたちが活躍された時代で、今泉さんがプレースキックするときに、歩幅を合わせるとき「イチ、ニー、サーン…」と観客から声が上がっていましたよね。雪の早明戦(1987年12月6日)、早稲田が東芝府中を破った日本選手権(1988年1月15日)も覚えています。早稲田には堀越正巳さん、明治には吉田義人さん、永友洋司さんというスター選手たちがいました。もちろん、社会人も高校ラグビーもよく見ていましたよ。

村上 誰か憧れていた選手はいますか。
山中 清宮克幸さん(1989年度早稲田大学ラグビー蹴球部キャプテン)は同じフォワードでしたし、体が大きくて、ヒーローでしたね。


つづく〜
山中 竹春(やまなか たけはる)
1972年9月27日生まれ


学歴
1991年 早稲田大学本庄高等学院 卒業
1996年 早稲田大学政治経済学部経済学科 卒業
1998年 早稲田大学理工学部数学科 卒業
2000年 早稲田大学大学院理工学研究科 修了


学位
2003年 博士(理学)早稲田大学


職歴
2000-2004年 九州大学医学部附属病院(現 九州大学病院) 文部教官助手
2002-2004年 アメリカ国立衛生研究所(NIH/NIEHS)研究員
2004-2005年 財団法人先端医療振興財団
(現 公益財団法人神戸医療産業都市推進機構) 研究員
2006-2012年 独立行政法人国立病院機構九州がんセンター 室長等を歴任
2012-2014年 独立行政法人国立がん研究センター 部長等を歴任
2014-2021年 公立大学法人横浜市立大学 特命副学長、医学部教授、
大学院データサイエンス研究科長等を歴任
2021年8月  第33代横浜市長に就任


市長就任までに、文部科学省科学技術・学術審議会専門委員、厚生労働省厚生科学審議会臨時委員、厚生労働省先進医療技術審査部会構成員、厚生労働省高度医療評価会議構成員、内閣府数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度検討会議構成員、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)専門委員、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)課題評価委員等を歴任


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