【インタビュー】 大阪ガス株式会社 中村剛顧問 〜その1~


先輩に言われるままにボールを持って走ったら
「ラグビー部入ったのか?」、「はあ」で入部決定


村上 このコーナーではラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。今回のゲストは大阪ガス株式会社顧問の中村剛さんです。中村さんは、同志社大学ラグビー部の出身で平尾誠二さんと同期のキャプテン。まずは、現在のお仕事のことを聞かせていただけますか。
中村 昨年の4月より大阪ガス株式会社の顧問となり、大阪ガス都市開発株式会社の取締役会長を務めています。


村上 大阪ガスのラグビーチーム「ダイガスストラガーズ」の部長も務めていらっしゃいますね。
中村 大阪ガスのラグビー部は1946年に創部され、昔でいう関西社会人のBリーグ、現在はトップウェストで頑張っています。基本的には仕事をしっかりした上でラグビーをしましょう、家庭も大切にしてバランスよくやりましょうというのがポリシーです。かなり前の話ですが、大阪ガスの社長がラグビー部長をしていたときに、ストラグル(Struggle)という言葉を使って、もがき苦しみながらも結果を出そう、それがラグビーですよ、ということを言われました。以降は、それがポリシーになっていて、ダイガスストラガーズという名称もそこから来ています。
 
村上 ラグビーとの出会いを聞かせていただきたいのですが、実は中村さんは私の母校・京都府立鴨沂高校ラグビー部の2学年上の先輩でもあります。
中村 村上さんが1年生の時、原田弘先生が監督だったでしょう? 原田先生は鴨沂に異動する前は、西京商業高校ラグビー部監督で、当時、全国大会を目指すほどに強化していたのですが、花園高校に7年連続で全国大会の京都予選決勝で負けていました。たまたま花園高校の川勝主一郎監督と私の母が高校の同級生で、私の体が大きいのを見て川勝先生から「中村君、ラグビーやったらどや?」と中学生の頃に言われました。私は野球部だったのでラグビーをする気がなかったのですが、川勝先生が原田先生に私のことを話していたようで、鴨沂高校に入学したら「いっぺん練習を見に来たら?」と声をかけられました。行ってみると、ラグビー部の先輩に「ボール持って走ってみるか?」と言われ、わけがわからないままに走っていたら、原田先生が来て「ラグビー部入ったのか!」と。「はあ」と答えたのが運の尽きでした(笑)。
 
村上 体格はどれくらいでしたか。
中村 身長175㎝、体重90㎏くらいでしたね。ちょうど3番のプロップがいなくて、ルールがわからないのに早々に試合に出ていました。

村上 そこからラグビーにはまっていくのですね。
中村 2年生の頃はチームが弱くて面白くなかったのですが、僕と同学年で剣道、バスケットボールなど他競技の経験者で体の大きな同期が途中から入部してきました。原田先生もやる気になってきて、京都のベスト4くらいまで行けるかもしれないと、練習も厳しくなって、チームの上り坂を経験できたのは楽しかったです。
 
村上 同志社大学に進学されたのはなぜですか。
中村 私の4学年上の同志社大学が学生日本一になり、それを見て憧れました。原田先生は京都教育大学出身で、早稲田大学でもラグビーを勉強されています。当初は早稲田大学を勧められました。でも、どうしても同志社大学に行きたくて、ラグビー部のセレクション(選手選考会)を受けて合格し、勉強もがんばってなんとか入学できました。
 
村上 その学年はそうそうたるメンバーですよね。
中村 平尾誠二、土田雅人、東田哲也ほか高校日本代表ばかりでした。チームのレベルも高かったので、無名の高校出身の私はまったく通用しなかったです。高校の時は京都のベスト15にも選ばれ、スクラムで押されたことがなかったのに、まったく通じない。ひたすら練習しました。(※当時は高校生も大人と同じく押し合っていた)。
 
村上 4年生ではキャプテンに就任しましたね。
中村 4年生の9月に怪我をしてしまって、岡仁詩先生(同時のラグビー部長)の期待に応えられず申し訳なく思っています。それでもチームは3連覇を果たすことができて、良い経験ができました。
 
村上 キャプテンは部員間の選挙で決めていたようですね。
中村 先日、当日の主務だった堺君と会う機会があったのですが、彼がよく覚えていました。卒業する4年生も含めて4学年の投票をして、1回目の投票では誰も過半数に届きませんでした。そこで、平尾、土田、私で決戦投票になり、決まったということです。
 
村上 大学時代ではどんな思い出がありますか。
中村 当時の同志社大学のキャプテンは練習内容、試合の出場メンバーもすべて決めなくてはいけませんでした。遠征するときも予算を任され、その中で旅の行程など段取りをするので大変でしたね。
 
村上 印象的な試合はありますか。
中村 関西大学Aリーグの開幕前、慶応大学と明治大学との定期戦があって、そのシーズンの実力を把握する良い機会でした。当時は慶応大学が一番強かったのですが、同志社のスクラムも強く、慶応大学が浮き上がるくらい押しました。滋賀県の皇子山競技場で快勝して、私も調子が良く初めて岡先生に褒められました。嬉しかったのですが、次の明治大学との定期戦までの練習で膝の靭帯を断裂しました。それで平尾君がキャプテン代行になってくれたのです。


~つづく

中村剛(なかむらつよし)

昭和60年同志社大学文学部文化学科卒業

 同志社大学ラグビー部では平尾誠二、土田雅人、東田哲也と同期、キャプテンを務める

昭和60年大阪瓦斯株式会社入社

平成30年常務執行役員就任

令和5年大阪ガス株式会社顧問就任

 ダイガスストラガーズ ラグビー部部長


関連記事