【インタビュー】 大阪ガス株式会社 中村剛顧問 〜その2~


自分自身で考えることを同志社大学で学んだ。
ラグビーは少年をいち早く大人にするスポーツ

 
村上 同志社大学のラグビー部ではどんなことを学びましたか。
中村 岡先生が週1回1時間程度のミーティングをしてくださいました。ラグビーの戦術、戦略、心的態度など本当に勉強になりました。もっとも印象に残っているのは「なんのためにラグビーをやっているのか?」という問いでした。学生はみな答えられませんでしたが、先生は「ボールを持って走ったら、楽しいだろう!」とおっしゃいました。目からうろこでした。その楽しさを達成するために、徹底して自分自身とチーム全体を鍛え、レベルアップしなさいと常々おっしゃっていました。先生の好きな言葉「楽苦美(ラグビー)」は、楽しさを達成するために苦しんでいる姿は美しいという意味です。原点はシンプルであるからこそ、意味深く、こだわりたくなるものだと学びました。
 
村上 同期の平尾誠二さんとは、どんな思い出がありますか。
中村 キャプテン代行としてチームを引っ張ってくれているときは、土田と一緒に私の入院している病院に来てくれて、「メンバーはこれでいいか?」など、私の立場を尊重してくれました。
 
村上 卒業後に強い社会人チームでプレーする選択肢はなかったのですか。
中村 声はかけていただいたのですが、怪我もあって少しラグビーに疲れていたところがありました。当時は、大阪ガスのラグビー部が強くなっている頃で、私の3学年上の池内さんという方が初めて同志社大学ラグビー部から大阪ガスに入りました。その後も続いて私も先輩方に誘われたということです。仕事との両立を私も目指していたところがあり、大阪ガスに決めました。
 
村上 仕事との両立は大変だったのではないですか。
中村 入社当時は練習グラウンドが西宮にあり、その後、今の京セラドームのあたりにあって、仕事終わりに急いで行って、ずいぶんと移動に時間を取られましたね。
 
村上 ラグビーという競技が仕事に生きた面はありますか。
中村 ラグビーの現役時代は、リーダーシップやマネジメントを経験として身に着けることができました。34歳の時に現役を引退し、人事部に異動になりましたが、業務内容は採用活動と研修の立案と実施です。そこで、経験していたマネジメントを理論として体系的に学ぶことができました。その後、課長、部長、役員、社長などリーダーになることが多く、ラグビーと同じようにチームを動かしていくという意味では、経験した上で理論を学んだことが役立ちました。
 
村上 ラグビーをしているときに学んだことで、仕事と結びつけられることはありますか。
中村 たとえばコーチングと、ティーチングは違いますよね。コーチングは部下やクライアントさんと一緒になって考えることです。ラグビーもそうで、岡先生は学生に考えさせる指導者でした。「ラグビーは笛が鳴ったらすべて選手が考えないといけない。普段から考えていないと身につかない」ということなのです。コーチング理論を学んだときに、まさにそういうことかと思いました。
 
村上 ラグビーをしていた良かったことはどんなことですか。
中村 ラグビーの格言で「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」というものがあります。私はこれが好きです。ラグビーは、自分を犠牲にしてもパスをつなぐという自己犠牲の精神がありますよね。パスを受けた選手はパスをした選手の思いを受け取って前進する。それを、体を張ってやっていくことが人生のなかで大切であり、少年が大人になる要素です。一方で、選手たちは無邪気にラグビーをしていて、子どものようなところもある。そこが私は大好きです。
 
村上 今後はラグビーとどのように関わりたいですか。
中村 私は現役時代から今までラグビー部を辞めたことがありません。今も部長ですが、そろそろ退く時期なので、ラグビー部のOBと何ができるか話し合いたいですね。それ以外は、妻と楽しくラグビー観戦ができればいいと思っています。最近のラグビーもよく見ていまして、海外のトップ選手が来日し、日本選手も触発されてレベルが高くなりましたよね。レベルが高すぎて、自分にはできないと思います。
 
村上 最後に、ラグビーをしている子どもたちメッセージをお願いします。
 私はラグビーをして良い経験をしましたし、仕事にも役立っています。ぜひ、小さいときからラグビーをして、お父さん、お母さんに走っている姿を見てもらって、家族みんなでラグビーを楽しんでください。体も強くなるし、明るく、楽しく、成長できる。そんなラグビーをぜひ続けてほしいし、もっともっと頑張ってほしいと思っています。


中村剛(なかむらつよし)

昭和60年同志社大学文学部文化学科卒業

 同志社大学ラグビー部では平尾誠二、土田雅人、東田哲也と同期、キャプテンを務める

昭和60年大阪瓦斯株式会社入社

平成30年常務執行役員就任

令和5年大阪ガス株式会社顧問就任

 ダイガスストラガーズ ラグビー部部長


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