【インタビュー】明治大学学長 大六野 耕作 〜その2〜

明治大学ラグビー部から学んだのは「前へ」。
徹底してやることの重要性


村上 ラグビーから学んだのはどんなことですか。
大六野 ラグビーの練習や試合の経験を考えたら、どれもこれも大したことないって思えるようになったことが大きいですね。特に夏合宿の練習を思い出すと、どんなことだって大丈夫だというポジティブな気持ちが生まれました。明治大学に入ってからは、自分がプレーしたわけではありませんが、ラグビー部の考え方は、ひたすらに前へ、です。これは一つの生き方だと思います。一つのことを決めたら押し通す。徹底してやることが重要だということを学びました。

村上 それは教員としての生き方にも影響していますか。
大六野 学部長になって以降(2008年~)、私が力を入れたのは、明治から多くの学生を海外に送ることです。明治大学というのは国際的な大学というイメージはありませんでしたが、あきらめずに努力した結果、2019年度のデータでは、明治から2,300人が海外に留学しました。これは日本のすべての大学の中で2番目の数字です。2009年度には355名しかいませんでしたからね。

村上 どのように伸ばしたのですか。
大六野 初めに目指したのは、私も行ったことがあったカルフォルニア大学のバークレー校でした。協定を結ぼうと思い、お願いに行ったのですが、一年目も二年目も相手にされませんでした。それでも何度もプランを出していると、一度くらい試しにやってみようかということになりますよね。それで、最初に11人を送ることになりました。

村上 どうだったのですか。
大六野 相手側から「英語からやり直したほうがいい」と言われました。そこで私は「2年ください、それで同じ状況であればあきらめます
と言いました。足かけ3年でGPAという平均点を大幅に上げました。翌年も、その翌年も上げました。次第にバークレー校では日本の大学と言えば明治だと言われるようになりました。いったん実績を作ると他大学と協定を結ぶ時にも生きてきます。あきらめないという気持ちはラグビーから来ています。相手がどうであろうと、自分たちが全力を尽くす。それが信頼を生む最大の要素です。弱い、強いではなく、どれだけ真剣に取り組んでいるか、それは相手にも伝わります。

村上 並行してラグビー部の部長も長く務められましたね。
大六野 抜けていた時期もありますが、まる13年務めました(2002年度~2008年度、2014年度~2019年度)。最初は何をやっても上手くいかずに苦しかったです。北島忠治先生というカリスマリーダーが長く監督を務められ、そのリーダーが亡くなってしまった。明確な目標と指針を立てて組織を動かしていくという経験がないものですから、一からの仕事になったのでしょうね。2018年度に22年ぶりに優勝したとき、高橋汰地(トヨタヴェルブリッツ、日本代表)が、「22年前は私が生まれた年です」と言いましたが、いったん壊れたものを一から作り直すのには、それくらいの歳月がかかるということなのでしょう。

村上 北島先生が亡くなられたのが、1996年でした。
大六野 そうなんです。結果が出ないときは誰がやっても良い評価は得られません。監督も選手もです。その中で、いずれ結果が出るようにつないでいくという仕事をどれだけ真面目にできるか。それが大きい気がします。勝てばすべてが正当化されます。勝負事はそういうものですが、結果が出たときだけで判断すると、本質からはずれた評価になる気がします。

村上 2018年度で学生日本一になるまでには、いろいろな改革をされたのでしょうね。
大六野 それはしました。明治大学ラグビー部とはどうあるべきか。失った方向性を取り戻すことを真面目に追求することがチームの文化になりますから、徹底的に考えないといけません。そこで人を得たというのは大きかったです。ラグビー部のOBの丹羽政彦さんが2013年度から監督になりました。朝早く練習して授業に行く。1年生から4年生までの縦の関係を見直す。いまでは当たり前のことを、一つひとつ変えていった。そして、丹羽さんが監督のうちに結果が出はじめました。最後の年(2017年度)に帝京大学と大学選手権の決勝戦で戦い、1点差で負けました。あそこから本当にどうすればいいのか、選手自身が考えるようになりました。サントリーサンゴリアスで実績のある田中澄憲さんが丹羽さんの下でヘッドコーチでした。田中さんは冷静に分析しながら、選手に温かく対応するコーチです。分析したこともいい加減にしない。1点差でも負けは負けで、帝京と差があることは田中さんも分かっていた。それをどう克服するか。コーチだけが考えてもダメだということを選手たちにずっと話していました。そして次の年に優勝することができました(2019年1月12日、決勝戦=明治大学22-17天理大学)。

村上 優勝したときは、どんな気持ちになりましたか。
大六野 なんとも言えなかったですね。勝てないことのほうが多かったわけですから。22年は長いですよ。しかし、勝てるときは、あっけなく勝つんだなと思いました。簡単なゲームではなかったのですが、負ける気がしなかったですね。


つづく〜

大六野 耕作(だいろくの・こうさく)
明治大学学長。1977年明治大学法学部卒業。同大学院政治経済学研究科博士後期課程単位修得退学。
専門は比較政治論。政治経済学部長や副学長(国際交流担当)等、数多くの要職を歴任。また、デューク大学、ノースイースタン大学、ラオス国立行政学院、ラオス国立大学でも教鞭をとるなど、国際的にも活躍。
1954年、福岡県生まれ。福岡県立筑紫丘高校時代はラグビー部で活躍。明治大学体育会ラグビー部の部長を長年務めた。

関連記事