【インタビュー】社会で活躍するラガーマン サントリー酒類執行役員 土田雅人様~その3~

村上  ラグビーという競技の魅力をどう考えていますか。

土田  15人という、団体スポーツの中でも一番人数の多いスポーツです。その中で自分の役割を理解し、トライをとったり、スクラムを押したり、喜びをみんなで分かち合う。それを経験できるのが、良さだと思います。

村上  だとすれば、幼い時にプレーしてほしい気もしますね。

土田  子供のラグビースクールに行くと、小さな子たちは最初はボールに群がります。でも、少しずつラグビーを理解してくると、一人一人の役割が分かりはじめる。しっかりポジショニングをするようになります。幼稚園でも小学校の低学年でも、それができてくればチームになっているということです。ラグビーは子供の頃にやったら、すごく楽しいのではないですか。子供の頃って自分で行きたがるでしょう。自分を犠牲にしてパスしてトライをしてもらう。それが分かると楽しいと思うんですよね。

村上  土田さんが描く夢は何ですか。

土田  2019年に日本でラグビーワールドカップが開催されます。世界中の人たちが日本に観戦にやって来ます。日本ラグビー協会としてもこれを成功させる大きな役割がありますが、一番大事なのは大会後です。ラグビーワールドカップが終わった後、ラグビー場が残り、指導者や選手、チームが増える。それが一番大事です。2015年のイングランド大会は、チームはベスト8に進めなかったけれど、グラウンドを100面くらい残した。そして今、ラグビー人口が増えている。こうなれば成功ですよね。日本大会はアジア初開催でもあります。2002年のサッカーワールドカップの後、日本でさらにサッカーが盛んになったように、少しでもラグビー、スポーツの文化が根付くように、やっていきたいと考えています。

村上  仕事での夢はありますか。

土田  ラグビースクールに行ったときなどは、(選手の)皆さんに「社長になってください。僕でも社長になれたのだから」と話しています。ラグビーの良さは、仕事しながらラグビーをして社長になれるということです。子供達には、「英語をいっぱい勉強して、社長になってください」と言っています。私も、もう少し社長として頑張って、社長になれるぞと言い続けたいです(笑)。

村上 最後に子供たちへのメッセージをいただけますか。

土田  私は高校からラグビーを始めて高校日本代表になり、オーストラリアに行きました。ラグビーをしていなかったら海外には行けなかったでしょう。ラグビーは私の人生を変えてくれたのです。社会人でラグビーをして、いつか社長になりたいと夢見て、その夢もラグビーをしていたおかげで実現しました。子供たちには、ぜひともラグビーを続けてほしい。2019年のラグビーワールドカップは、間違いなく楽しいです。一人でも多くの子供たちに見せてあげたいし、いつか出場させてあげたいと思っています。ぜひラグビーを続けてくださいね。お母さん、ラグビーをやると社長になれますよ! 
─完─

土田雅人様

秋田県秋田市寺内生まれ。秋田県立秋田工業高等学校から同志社大学に進学。平尾誠二、大八木淳史らと共に大学選手権3連覇に貢献。卒業後にサントリーへ入社し、ラグビー部に所属。1995年に現役引退して監督就任、1年目で日本選手権初優勝に導く。

1997年には平尾誠二監督率いるジャパンのフォワードコーチとしてワールドカップに出場し、2000年に平尾監督と共に辞任。その後、再びサントリー監督として、2001、02年にチーム初の日本選手権2連覇を果たす。

2003年にサントリー監督を退いたが2008年ゼネラルマネージャーとして復帰(2009年から強化本部長)。元オーストラリア代表(ワラビーズ)で世界最多キャップホルダーのジョージ・グレーガンを引き抜きチーム強化にも本腰を入れる傍ら、本業では東京第1支社第1支店長や西東京支店長を歴任、東京支社プレミアム営業部長としてプレミアムモルツ拡販の陣頭指揮を執る。新規販路開拓で社長賞を受賞。

2011年9月1日付でサントリー酒類執行役員スピリッツ事業部長に就任した[3]。

2015年6月28日の日本ラグビーフットボール協会理事会で理事に就任することが発表された。

同志社大学時代のチームメイトでもあった平尾とは、旧友でありライバルでもあった。


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