【インタビュー】社会で活躍するラガーマン 日本維新の会 幹事長 藤田文武 〜その3〜


努力で乗り越えられない壁はない
ラグビーで学んだ精神でガチンコ勝負


村上 政治家を志して、ラグビーが生きた部分はありますか。
藤田 私は大阪の府立高校から筑波大学に進学して、レギュラーになりたくて人一倍努力したつもりです。しかし、最終学年の夏合宿で大きな怪我をし、3~4カ月リハビリをして、復帰したらもう引退という形で最後のシーズンを棒に振りました。こんなに努力しても達成できないことってあるんだなと、あきらめにも似た気持ちになりました。でも、僕の同期は僕以外全員がレギュラーになりました。僕だけ出られなかったのです。納会で一人ずつみんなの前で話したとき、みんな僕より努力していたと感じました。努力が足りなかったのです。だから、社会人になって努力で乗り越えられないことは無いのだということを証明したくて、努力しました。仕事はひょうひょうとやっているように見られていると思いますが、僕は完全に努力型です。それはラグビーで学んだことです。

村上 大学4年生の時に主務をした経験は生きていますか。
藤田 主務は組織運営上のトップです。主務は重要なポジションだと感じて、組織改革をしました。昔の体育会は、4年生が王様で練習以外は何もしない。1年生が雑用をするのが当たり前でした。それをやめようと、僕らの時に仕組みを作りました。4年生が責任者になったそれぞれの委員会を作るのです。3年生が実務を仕切り、2年生がフォローして1年生が本当の実務をする。1年生がミスしたときは、4年生の管理監督が悪いからミスが起きるという仕組みに変えました。これが上手く行きまして、それが進化しながら今も続いているようです。組織が合理的に動いていくために、どうすればいいかはよく考えました。それは今の立場になっても生きています。

村上 最近もラグビーは見ていますか。
藤田 あまり見ていないのですが、つい先日、小学生の大会のヒーローズカップを見ました。ラグビーはやっぱりいいなと思ったし、最近の子どもたちはラグビーが上手いですね。地元に四條畷ラグビースクールがあり、私の高校の先輩がコーチをしているので、ボランティアコーチとして参加していたこともあります。

村上 選挙活動でラグビーの体力は役に立ちましたか。
藤田 めちゃくちゃ役立っていますよ。私は全国の候補者の中で一番走ると思います(笑)。街中で配布したビラを受け取ってくださる方がいると、スタッフから「藤田さん、こっちへ来て」と呼ばれます。猛ダッシュして走って行って、少しお話をさせていただきます。次々に呼ばれては猛ダッシュです。少なくとも維新の中では一番走りますね。なぜか息が上がらないんですよ。

村上 政治の世界でやっていきたいことはありますか。
藤田 我々は野党ですし、大阪でいろいろ改革をしてきましたが、時代が変わるべきときに、自民党は現状維持、微修正がすごく多いのです。それをガラっと変えていくのが私たちの役目だと思います。今の社会課題を解決するには、勇気をもって踏み出さないといけない。そういうことを訴えて、ファーストステップとして、与党に対抗し、選択肢になる政党を目指したいですね。私はいま40歳で、議員経験3年、2期目。秘書も地方議員も経験していません。そんな人間が国政の第三党の幹事長になったのです。業界では驚かれますが、維新では普通です。若い人に任せてくれるのです。その期待に応えたいです。いろんな改革を党内でも、自民党に対しても提案してガチンコ勝負していきたいです。まだまだ未熟なので、皆さんに支えていただきながらですが、できるのだというところを見せられるように頑張りたいです。

村上 若いということで困難もあるのではないですか。
藤田 社会人のラグビーチームを見ていると、2年目、3年目でキャプテンになりますよね。そこにベテランの日本代表選手がいて。そんなイメージかなと思います。先輩方に凄い人がいるのですが、若い選手をキャプテンにしてチームがまとまっていく。なんでもラグビーにたとえて考えちゃいますね。ポジティブ思考です。

村上 最後にラグビースクールの保護者の皆さん、ラグビーをしているお子さんたちにメッセージをお願いします。
藤田 私も高校、大学、クラブチームでラグビーをしてきて、たくさんのことを学びました。ラグビーが本当にいいのは、一緒に戦った仲間は一生の財産だということです。私もそういう仲間ができたことを嬉しく思っています。そして逞しくなります。ぜひ、皆さんもラグビーを楽しんでください。

~完

藤田文武
1980年12月27日生まれ 大阪府寝屋川市出身 
大阪12区選出衆議院議員 日本維新の会幹事長 
四條畷高校からラグビーを始める 筑波大学ラグビー部OB 地元ラグビースクールの指導の経験あり

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