【インタビュー】社会で活躍するラガーマン 日本維新の会 幹事長 藤田文武 〜その1〜


ラグビーをしたことでタフになった
同時に頭を使うスポーツだと気づいた

村上 このコーナーではラグビーに出会ったことでその後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。今回のゲストは、日本維新の会幹事長の藤田文武さんです。11月の衆議院選挙後、幹事長に就任されましたね。幹事長とはどんなお仕事なのですか。
藤田 永田町では考えられない非常識人事だと言われました。前幹事長の馬場伸幸さんの補佐役をしていたのですが、幹事長の役割はものすごく幅広いのです。たとえば選挙など党員の日々の活動をどう支援していくかなど内部の取りまとめ、他党との折衝の窓口、メディア対応など、中と外を一手にやるのが仕事です。

村上 生活パターンは変わりましたか。
藤田 朝からアポイントが入り続けています。これまでは土曜、日曜は地元(大阪12区、寝屋川市、四條畷市)に帰って、挨拶に回り、イベントなどに参加していましたが、幹事長になると、党を代表して東京でのイベントに出るようにもなり、スタイルが変わりました。

村上 ラグビーと出会ったのはいつですか。
藤田 高校です。私は大阪府立四條畷高校出身なのですが、四條畷高校は、全国大会に9度出場し、準優勝が一回という古豪です。そのことをまったく知らなかったのですが、入学後に校内を歩いているとき、中学時代のバスケットボール部の先輩に会いました。その先輩が高校ではラグビー部に入部されていて、「いっぺん練習を見にこい」と連れていかれて、サインしてそのまま入部しました。

村上 ラグビーのことは知っていたのですね。
藤田 格闘技のようなスポーツだなという印象は持っていましたが、ルールは知りませんでした。ただ、私は3歳から空手を習っていまして、格闘技は好きだったんです。

村上 実際にラグビーを始めてみて、どうでしたか。
藤田 ついていけないと思いました。ランパスを20本、30本とか、普通に言うんです。世の中にこんなにしんどい練習があるのかと驚きました。夏くらいまではついていくのに必死でしたね。

村上 ランパスとは、パスしながらグラウンドを何度も往復する練習ですよね。昔の選手は、ランパスの本数自慢があるくらい、メジャーでしんどい練習でしたね。ポジションはどこだったのですか。
藤田 最初はロックでした。私は身長178㎝でラグビー選手としては大きくありませんが、そのときのチームでは身長が2番目に高かったという理由だけです。

村上 大阪の全国大会予選などでの戦績はどうでしたか。
藤田 私が2年生のときはベスト4まで勝ち進み、3年生はベスト8でした。前年に全国制覇した大阪工大校(現・常翔学園)と試合をして、ボコボコにされました。最後は島本高校に負けて引退しました。

村上 島本と言えば、元日本代表の廣瀬佳司さん(現・京都産業大学ラグビー部監督)。堀江翔太選手(埼玉ワイルドナイツ)の出身校ですね。
藤田 私が1年生のときに島本高校は全国大会に出ていて、府立高校ですごいなと思っていました。3年生の予選で対戦して勝つ気満々でしたが、ボコボコにされました(笑)。

村上 ラグビーをしたことで自分が変わっていった部分はありますか。
藤田 タフになりましたね。ラグビーというのは、すごく頭を使うスポーツだということに、あるとき気づきました。高校時代、僕らがバイブルにしていたのは、平尾誠二さんの著書「勝者のシステム」(講談社)でした。頭を使って、冷静に戦うことが大事だけど、一本ねじを抜いて、ハートを前面に出す部分も必要です。冷静さと熱さを両立させないと試合ができない。こういう局面は、人生を生きていてあまり経験しませんよね。今に生きている経験だと思います。


つづく
藤田文武
1980年12月27日生まれ 大阪府寝屋川市出身 
大阪12区選出衆議院議員 日本維新の会幹事長 
四條畷高校からラグビーを始める 筑波大学ラグビー部OB 地元ラグビースクールの指導の経験あり

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