ラグビーキッズ特派員特別寄稿「山内コーチ」

山内コーチとともに
 
第14回ヒーローズカップ北海道大会が快晴の小樽からまつ公園運動場で行われた。そこにはグラウンドを優しいまなざしで見つめる一枚の写真があった。見つめる先はオホーツクブルーR.F.Cジュニア(OKBJr.)の子供たち。写真は山内博史コーチ。大会を控えた先月18日肺腺がんのため亡くなった。享年52歳。終えるにはあまりにも若すぎる一生であった。
山内氏は地元名門北見北斗高校ラグビー部出身。第68回全国大会にも出場し副主将として活躍された。高校卒業後は北見市役所に就職。市役所ラグビー部を設立。中心選手として活躍し国体にも選出され46歳には東日本クラブ選手権にも出場。生涯現役を貫いた。指導者としても日本協会A級コーチを取得。国体の監督や北見北斗高校のコーチも務めた。また、北見市ラグビーフットボール協会の理事長や北海道ラグビーフットボール協会の副理事長となるなど多数の公職を歴任された。
北見市はトップリーグや大学のトップチームが夏合宿を行うところ。そのお世話をするだけでなく北見市民ラグビー祭やタグラグビーの普及、天然芝の管理にも尽力された。
がんは3年前に発覚。肺腺がんと診断され、抗がん剤治療など最善を尽くすもすでにかなり進行しており、無念の日を迎えることとなった。亡くなる前日高校の同級生の皆さんが面会を希望されたところ急に元気になり、自ら看護師さんに許可を取り付け面会がかなった。そこでは昔と変わらぬ元気な姿が見られたことにご家族も驚かれた。いかにラグビーや仲間を愛していたのか強く感じられた瞬間でもあった。
ご家族の次男は中学時代に北海道選抜に選出され、今年父親の母校北見北斗高校に入学。山内氏は自分と同じエンジと白のジャージで花園をかける息子さんの姿を楽しみにしていたことだろう。
OKBJr.とは2015年に山内氏が設立を提唱。山内氏の熱意と努力が周りを動かし、OKBJr.は生まれた。今回のヒーローズカップの現場には行けないけれどヒーローズカップに出場する子供たちにメッセージを送られた。
そこには
「君たちは北見の宝。 OKBJrを選んでくれてありがとう!お父さんやお母さん等、自分を支えてくれる人々への感謝の気持ちと準備を忘れずに 仲間たちとラグビーを思い切り楽しんで!(原文)」。
選手の腕には喪章として黒のリストバンドが巻かれていた。
試合は惜しくも決勝トーナメントに進むことはできなかったが、山内氏の思いは子供たちに受け継がれ、いつの日かOKBJr.のジャージが横浜の決勝大会で見られるだろう。

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