【インタビュー】社会で活躍するラガーマンたち (株)ティーガイア 代表 金治伸隆~前編~

3 村上晃一 金治伸隆 インタビュー 対談 ラグビー OVALROAD

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村上

このコーナーは、ラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。第二回目のゲストは金治伸隆さんです。まずは、ラグビーとの出会いからお話を聞かせてください。

金治伸隆

株式会社ティーガイア 代表取締役社長。1983年京都大学法学部卒業後、住友商事株式会社入社。 中東・アジア向け自動車輸出担当後、主に国内外の情報産業分野の事業開発を担当。 その間、サウジアラビア ジェッダでの自動車販売店勤務、米国ベンチャー投資会社社長などを歴任。2014年に携帯電話販売最大手の株式会社ティーガイア入社後、コーポレート戦略本部長、スマートライフ事業本部長を経て、2017年同社社長に就任。現在に至る。ラグビー歴は神戸高校、京都大学、住友商事、ジェッダRFC。

金治

中学時代は陸上競技部でした。短距離、三段跳び、砲丸投げと、いろんな種目をやりました。個人競技だったので、高校に入ったら団体競技をやりたいと思っていました。私は兵庫県出身なのですが、当時の兵庫県ではラグビーは高校から始めるのが普通でした。体も大きかったし(180㎝くらい)、足も速かったので、自分に合っていると思って始めました。

村上

ラグビーの試合をみるなど、何かラグビーとの接点はあったのですか。

金治

テレビで関西リーグの試合を見たのですが、飛び込んでトライをするのがカッコいいと思ったんです。それに、トライをした選手が喜びも出ずに静かに仲間のところに帰っていった。クールなスポーツだと思いました。今はトライをしたら盛り上がりますけど、当時は、トライをしても喜ぶな、と教えられたものです。

村上

高校のラグビー部の練習は厳しかったのですか。

金治

厳しかったですね。サッカー部は全国大会にもよく出場する高校だったのですが、ラグビーも強くて、3年連続で県大会の決勝に進出していました。僕が3年生のときの決勝では報徳学園に負けたのですが、その報徳学園は全国大会でベスト8に進出しましたから、レベルは高かったと思います。

村上

高校3年間、ラグビーに取り組んだことで、何を得ましたか。

金治

一番は仲間です。一生つき合える友達です。もうひとつは、僕はわがままな性格だったのですが、チームスポーツをしたことで、成長できたと思います。勉強に生きたかどうかで言えば、集中力が増して、受験勉強には生きましたね。

村上

卒業後は京都大学に進学されたということですから、勉強のほうも努力されていたということですね。

金治

僕が通った高校は、勉強だけでは一人前ではない、スポーツにもしっかり取り組もうという、文武両道の学校でした。ただ、それほど勉強に時間をかけたわけではありません。浪人して大学に行くのが普通だと思っていたので、気楽にやっていました。実際に浪人しましたからね。京都大学は、その頃、関西大学Aリーグにいました。京都大学という学校自体のあこがれもありましたが、スポーツ推薦制度がないなかで、大学のトップリーグでプレーしている。高校の頃、京大と慶應義塾大学の定期戦を観戦しましたが、いい試合をしていました。この大学でラグビーをやってみたいと思ったのです。

村上

京大では一年生からレギュラーのナンバーエイト(NO8)でプレーされたそうですね。

金治

高校時代はバックスのフルバックでした。バックスのほうがカッコいいとも思っていました。ところが、同じ学年に大阪の北野高校のキャプテンで高校日本代表でもあった選手が入ってきた。当時、大阪の公立高校はラグビーが強くて、北野高校からは3年連続でキャプテンが京大に進学していた。みんなバックスです。だから、僕はフォワードに行け、と言われたわけです(笑)。気が進まなかったのですが、やってみるとNO8が面白くて、一年生の途中からレギュラーになりました。

村上

プレースキッカーもされていたそうですね。

金治

2年生からですね。精度は低いけど、距離は出ましたから、遠い距離のキックだけ任されていました。ラインアウトではジャンパーもしていました。なんでもやるから、相手チームから、「よろずや きんのすけ」と呼ばれることもありました(笑)。

村上

それ、今の子供たちにはわかりません(笑)。なんでもやるから「よろずや」。名前にひっかけているわけですね。※萬屋錦之介(テレビドラマでも活躍した有名な歌舞伎役者)

村上

大学時代、印象的な思い出はありますか。

金治

2年生の頃なのですが、京都の西京極で試合をしたときのことです。サッカーのペナルティーエリアのラインが残っていましてね。ゴール前でスクラムを押していて、方向感覚がわからなくなって、サッカーの縦のラインにボールを置いて「トライ!」と叫んでしまった。それで、みんなの動きが止まったことがありました(笑)。でも、その試合で自陣に30mくらい入ったところから独走して逆転トライもしました。いろんな意味でよく覚えています。もう一つ、これは私の記憶が正しければ、という話ですが、同志社大学に平尾誠二さんが入学したころ、当然、彼が個人得点記録で1位になったのですが、そのとき、私が2位だったのです。

村上

それはすごい。自慢できますね(笑)。そのままラグビーを続けようとは考えなかったのですか。

金治

企業のチームから誘っていただきましたが、仕事で海外に行きたいという希望がありましたので、本格的なラグビーはやめることにしました。商社のラグビーチームが集うリーグがあり、そこでは続けました。

村上

住友商事に入社された後、ラグビーをしていたことが役に立ったことはありましたか。

金治

就職に有利に働いたことは間違いないですね。当時は体育会系の人は希望の会社に就職できていました。仕事上でも、ラグビーの経験が生きたことは多いです。体力的にハードなことも多いし、仕事とラグビーは似ているところがあります。サウジアラビアに駐在しているときには、現地のクラブチームでプレーしたのですが、イギリス人がほとんどで、アジア人は私だけ。キャプテンは外交官で、銀行員ほかさまざまな職業の人たちと交流することができました。イギリスの軍艦が入港してきたときには、彼らと試合をしたこともあります。いろんな考えを持つ人たちの意見が聞けたことも大きかったです。―後編に続く

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