【インタビュー】社会で活躍するラガーマン 自由民主党所属衆議院議員 中谷元様〜その2〜


あきらめず、一つのことを一途にやっていく、

そういう力はラグビーで身に着いたと思います。


村上 当時の防衛大学校の実力はどうだったのですか。

中谷 関東大学リーグ戦は、1部、2部、3部とありますが、昭和50年代、防衛大学校は1部にいまして、日本大、法政大、拓殖大などと戦っていました。下級生の頃は試合を見るばかりでしたけど、早稲田の宿澤広朗さん、明治の松尾雄治さんなど伝説のスター選手もいて、大学ラグビーの黄金時代を垣間見ました。

村上 最終的にポジションはどこだったのですか。

中谷 ロックです。なかなかきついポジションで、疲れたらスクラムの中で休んでいましたけど(笑)。

村上 印象的な試合、シーンはありますか。

中谷 4年生でレギュラーになって試合に出ていたのですが、公式戦でトライしたことがなかったんです。ある試合で目の前にボールが転がってきて、それを拾って走ったんですよ。あわやトライか!というときにタックルを受けまして、自分ではグラウンディングしたつもりでしたが、トライが認められなくて、あれは残念でしたね。公式戦はノートライで終わりました。

村上 卒業後、自衛隊でもラグビーは続けたのですか。

中谷 各地方の自衛隊の部隊にラグビー部を作ろうじゃないかということで、私は山形県の神町駐屯地でラグビー部を作りました。山形県は社会人でラグビーをするチームが少なくて、かもしかクラブというチームと、よく試合しました。当時は福島県の会津のチームが非常に強くなっていましたね。現在は、昔ほどではないのですが熱心にやっているところはありますし、自衛隊体育学校はとくに盛んにラグビーが行われていて、女子の日本代表選手も出ています。頼もしいですよ。

村上 自衛隊の過酷な訓練に比べると、ラグビーは楽なのではないですか。

中谷 私はレンジャー部隊での訓練で自分の限界を超えるような体験もしました。ラグビーは、スポーツですからね。それでも、あきらめない、痛みに耐える、最後までやり抜くことなど、ラグビーで体験したものですから、それは今も生きていますよ。国会で、野党から質問を受けて、いろいろ厳しいことを言われることもありますが、じっと耐え、できるだけ正直に答える。そういう姿勢がやがて認められます。途中であきらめたり、怒鳴ったりするのではなく、一つのことを一途にやっていく。そういう力はラグビーで身に着いたと思います。

村上 2019年にラグビーワールドカップが日本に来ることが決まったときは、どんなお気持ちでしたか。

中谷 招致が決まるまでに10年くらいかかっていますよね。森喜朗先生が何度も海外に行って交渉されていました。私は日本開催が決まってから参加しましたが、成功させるためにいろんな苦労がありました。日本代表チームのレベルアップは協会が主体になっていましたが、スポンサー集め、開催地、キャンプ地をどうするか。いろんなことがありましたが、最終的には、観客席の売上率が99.8%でほぼ満席。試合内容も良く、見ている人も感動をおぼえたし、国民の皆さんと気持ちを合わせて成功しましたね。ここまでの成功は、やはり日本代表の活躍があってこそですが、一つ一つハラハラしながら見ましたよ。

村上 ラグビーワールドカップの試合は過去にも見られたことがあったのですか。

中谷 2011年のニュージーランド大会、2015年のロンドン大会も国会議員チームで行きまして、日本代表の応援にも行きました。2019年大会で一番感動したのは、スコットランドに勝った試合でしょうね。あのときは、大声を出しましたよ(笑)。台風で水がスタジアムの下に流れ込んだりしたわけですが、お客さんが来る頃には綺麗になっていて、後方支援してくださった皆さんには感謝しています。


~つづく

【プロフィール】
中谷元
自由民主党所属衆議院議員
防衛庁長官 防衛大臣 安全保障法制担当大臣 衆議院総務委員長 自由民主党副幹事長を歴任。
防衛大学卒業ラグビー部 
日本ラグビーフットボール協会評議員 
高知県ラグビーフットボール協会会長

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