【インタビュー】社会で活躍するラガーマン 自由民主党所属衆議院議員 中谷元様〜その1〜

不得意なものに挑戦しようと思い、

防衛大学校でラグビーを始めました。


村上 このコーナーではラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。今回のゲストは、衆議院議員の中谷元さんです。まずは、現在の活動について教えていただけますか。

中谷 自由民主党のなかにある「中央政治大学院の学院長を務めています。この大学院は、政治家を目指す人、地方で勉強したい人、そういう方々のために、自民党結党以来ずっとある部署です。主に我々の先輩の政治家がどんなことをしてきたのか、武士の時代、貴族の時代の政治がどうだったのか、日本をめぐる安全保障、尖閣列島の状況、朝鮮半島の政治、中国の動きといった時事問題も学ぶことができます。一般の方々が参加できる塾や、出前講座と言いまして各都道府県の支部で開催する勉強会に講師を派遣するなど、教育的な仕事をしています。

村上 ラグビーについては、2019年ラグビーワールドカップ成功議員連盟会長を務めていらっしゃいますね。

中谷 国会議員にもラグビー経験者がいますし、好きな人もいますので、「国会ラグビークラブ」を作っています。他国の大使館チーム、自衛隊チーム、警察チームなどとの交流をしています。一昨年のラグビーワールドカップで、世界中の国会議員のラグビーチームが日本に来ました。そういったチームとも対戦し、ホスト国として務めを果たしましたね。

村上 防衛大学に入学されてからラグビーを始められたようですね。

中谷 それまでラグビーボールに触ったことすらありませんでした。私は球技が不得意でした。せっかく大学でクラブに入るなら自分が一番不得意なものにチャレンジしてみようと思って入部しました。走るのも遅いし、運動神経もあまり良くないので、辛い日々が続きました。ボール磨きばかりやっていました(苦笑)。ポジションは、最初はバックスでしたが、なかなかチームの役に立てなくて、3年生のときに監督の指示でフォワードに行ってからやっと芽が出てきました。まさかレギュラーになれるとは思わなかったのですが、4年生ではレギュラーで試合に出ることができました。辞めようと思ったこともありましたが、続けて良かったと思いました。

村上 防衛大学校は授業なども厳しそうですから、クラブとの両立は大変でしょうね。

中谷 本当に休みがなかったですね。防衛大学校は身だしなみに厳しくて、外出は制服が決まりで、その制服もきちんとプレスし、埃がついていてもだめ、ボタンも磨いて光っていないといけない。それは厳しくて、点検があって、パスしないと外出できないんです。今思えば、身だしなみ、整理整頓、話の仕方など役に立っています。何より役に立ったのは共同生活です。一部屋に8名。最初は常に人がいるから気になって辛いのですが、次第に自分をコントロールして、人と折り合いをつけ、自分なりに時間をうまく使うようになり、社交的になりました。みんな将来自衛隊の幹部になりますから、指揮官として自分の命令を部下に伝達してその通り動いてもらわなくてはいけない。人は命令されるだけでは動きませんから、コミュニケーションの取り方など、上に立つ者はどうあるべきかなど、共同生活の中でいろいろ勉強しました。

村上 そんな中でラグビーもされたわけですが、ラグビーから学んだことはありますか。

中谷 セービングというプレーがありますね。自分の身を挺してボールを確保する。スクラムはがっちりチームで組む。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン(一人はみんなのために、みんなは一人のために)という言葉があります。ラグビーはそれぞれに持ち場があり、みんなで協力して目的を達成する。そういうことは、ラグビーの練習、試合で一つ一つ教訓として学んでいきました。

村上 自衛隊の活動も集団で動くという意味では、ラグビーと似ていますね。

中谷 そうなんです。一人でやれることは限られています。多くの人の力で物事は成り立つものです。自衛隊だけではなく、会社組織でも、町内会でもみんなをまとめることは必要ですし、人間社会はすべて集団の中でどう行動するかです。ラグビーは集団の力をまとめあげて発揮する訓練として、かっこうのスポーツだと思います。


~つづく

【プロフィール】
中谷元
自由民主党所属衆議院議員
防衛庁長官 防衛大臣 安全保障法制担当大臣 衆議院総務委員長 自由民主党副幹事長を歴任。
防衛大学卒業ラグビー部 
日本ラグビーフットボール協会評議員 
高知県ラグビーフットボール協会会長

関連記事