【インタビュー】社会で活躍するラガーマンたち 元ローソン代表取締役 玉塚元一~前編~

3 対談 インタビュー ラグビー 村上晃一 玉塚元一 OVALROAD

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村上

このコーナーでは、ラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いていきたいと思っています。
第一回目のゲストは玉塚元一さんです。まずは、ラグビーとの出会いからお話を聞かせてください。

玉塚元一
株式会社ハーツユナイテッドグループ 代表取締役社長 CEO

ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院 MBA取得
サンダーバード大学大学院 国際経営学修士号を取得

1985年、慶應義塾大学卒業後、旭硝子株式会社入社。工場勤務、海外駐在を経て、日本IBMに転職。1998年、株式会社ファーストリテイリングに入社、2002年に同社代表取締役社長 兼 COOに就任。2005年9月に企業再生・事業の成長を手掛ける企業、株式会社リヴァンプを創業し、代表取締役に就任。その後2010年11月、株式会社ローソンに入社。

同社取締役代表執行役員COO経て、2014年5月より代表取締役社長、2016年6月に代表取締役会長CEO。2017年6月、デジタル製品のテスト及びQAを行う株式会社ハーツユナイテッドグループ代表取締役社長CEOに就任。現在に至る。


玉塚
中学一年生(慶應普通部)の時でした。当時の自分は、弱々しい男の子でした。
このままではダメだと思っていたのですが、たまたまラグビー部の練習を見る機会があって、面白そうだと感じました。
こういうスポーツをすれば少しは強くなれるかなと思って飛び込んだのですが、やり始めたら、すごく面白かった。

村上
何が面白かったのですか。

玉塚
体をぶつけてタックルをするのも面白かったし、上級生の足の速い選手を見ていると、かっこいいとも思いました。
魅力的でしたね。

村上
ラグビーをやめようと思ったことはありますか。

玉塚
練習が厳しくてやめようと思ったことは一度もありません。
高校生の頃、僕らの学年は『強い』と言われていたのですが、
当時の神奈川県には相模台工業や東海大相模という強豪チームがあって激戦区でした。
高校3年時は大会前の下馬評で慶應が花園(全国大会)に行くのではないかと言われていたにもかかわらず、負けました。
努力をしても勝てないのなら続けても仕方がない、ラグビーをやめようと思ったことがありました。
大学に進学したら、テニスやスキーをして人生を楽しもうと思っていたのです。
でも、なんだかむずむずして、ゴールデンウィーク前にラグビー部に入りました。

村上
慶應義塾大学といえば、山中湖での地獄の夏合宿が有名でしたね。

玉塚
いくらお金を積まれても、もうできないです(笑)。約20日間、早朝、午前、午後と3部練習を繰り返す。
当時の山中湖は土のグラウンドで傷だらけになる。打撲もあるし、3日目の朝あたりには、もう動けないという気持ちになる。
でも、起きあがって走りだす。部員が100名以上いましたが、夏合宿で生き残った選手が秋の公式戦に出場する。
そんな儀式のようなものでした。僕はラグビーの才能はなかったけれど、ひたすら走る、ひたすらタックルする、というような練習では生き残ることができた。
根性だけでレギュラーになったようなものです(3年生から)。
今の慶應は科学的なトレーニングをしているし、グラウンドも人工芝になり、環境はまったく違いますよ。

村上
あの頃は大学ラグビー人気がすごかったですから、秩父宮ラグビー場、国立競技場がいつも満員でしたね。

玉塚
早慶戦でも5万人以上入りましたし、僕が4年生のときに出場した大学選手権決勝も国立競技場は満員でした。
まだ、サッカーのJリーグも始まっていなくて、ラグビー人気が高かったですね。

村上
女性にも、モテたでしょうね。

玉塚
いやいや、僕はまったく。僕の同期に、市瀬豊和とか村井大次郎というカッコいい選手がいて、
市瀬なんて、試合後には女の子に囲まれてサインしていましたよ。
まじめだから、一人一人、きちっとフルネームを書いてね(笑)。
こっちは、早くお茶のみに行きたいのに、市瀬をずっと待ったりして。

村上
大学時代、一番思い出に残っているのは、どの試合ですか。

玉塚
やはり4年生の大学選手権決勝(1985年1月6日)ですね。相手は選手権三連覇を目指す同志社大学。
残念ながら亡くなってしまった平尾誠二君や、いまサントリービバレッジソリューションの社長になっている土田雅人君が引っ張っていた。
そんな強いチームと戦ったこと、最後に我々がトライだと思った最後のパスがスローフォワードと判定されたこと、いろんな意味で記憶に残っています。
負けてしまったけれど、勝負というのは、負けて学ぶことが多い。ロングタームで見たら、どちらが良かったのかは分かりません。
試合後、同志社のメンバーと仲良くなりました。社会人になっても何度も飲みに行っています。僕はあの試合のことはすべて鮮明に覚えていますよ。
前半序盤の同志社ボールのラインアウトで、僕は同志社のSO松尾勝博君を倒そうと飛び出した。でも、僕の役目は内側のディフェンスを整える事だった。
松尾君の外側にいた平尾君は僕が飛び出したのを見て、僕の内側に走り込んで先制トライをあげました。僕のせいであの試合は負けたと思っています。
そういう意味でも忘れられない試合です。

村上
その後、同志社のメンバーと仲良くなったというのは、ラグビーならではのことですね。

玉塚
ラグビーは仲間意識が強い。僕は留学などで海外での生活が長いのですが、海外でも同じです。
ビジネスのシーンでぎりぎりの交渉中、ランチのときに「君は何かスポーツはしていたの?」と聞かれて、「ラグビー」と答えたら相手もラグビーをしていて意気投合。
交渉の流れが変わったこともありました。スペシャルなスポーツだと思いますよ。

村上
大学卒業後はラグビーを本格的には続けなかったのですね。

玉塚
燃え尽きたというか、ラグビーはもういいかな、と思いました。
慶應のラグビー部はラグビーとは無縁の会社に就職するケースも多く、僕も卒業後はビジネスで頑張ろうと思って切り換えました。
ただ、エーコンクラブというチームでプレーし、三菱系の会社に入社しましたので、三菱グループの大会には出場していました。
入社4年目にシンガポールに赴任して現地でもラグビークラブに入りました。これがすごく良かった。
そのクラブには、地元のシンガポールだけではなく、インド、オーストラリア、イギリス、フランス他さまざまな国の人たちが参加していました。
そこで一緒にラグビーをし、シンガポール代表にも選ばれ、香港セブンズ(7人制ラグビーの国際大会)にも出場しました。
貴重な経験でした。

村上
そうやって、世界にも人脈が広がって行ったのですね。

玉塚
シンガポールでは毎週土曜日の夕方に試合があって、終わるとチームのメンバーでバーに行く。
僕は英語が話せなかったのですが、ラグビー仲間との談笑が一番勉強になりました。
バーでの話は内容もあっちこっち行くし、ジョークで急に笑ったりする。
いったい何が可笑しいのが分からなかったけど、それに食らいついて行くうちに分かるようになっていきました。

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