組織目標を達成するための個人の役割と責任分担、
リーダーの明確な指示。大学で学んだことが社会で生きた
村上 早稲田大学でもラグビーを続けましたね。
寺林 1カ月くらいはラグビーのことを考えられませんでした。でも、やっぱりラグビーが好きでしたし、すごく魅力のあるスポーツで、このまま終わっていいのかなという思いもあって続けることにしました。例年、早大学院から早稲田大学のラグビー部でも続けるのは1人か2人です。同じ東伏見での練習で大学生の厳しい練習を見ていますからね。しかし、我々の学年は異例の8人が入部しました。
村上 その代が大学4年生では明治大学に事前の下馬評を覆して勝つのですね。
寺林 我々が4年生の時、大西鐵之祐さんが低迷する早稲田大学を立て直すために監督に就任されました。明治のフォワードは北島忠治監督が「史上最強だ」というほどでした。春の試合(1981年5月31日)も48対12で負け、慶應義塾にも31対0で負け。マスコミの皆さんは今年も早稲田はダメだと思ったようです。下馬評は圧倒的に明治でした。そんな中、大西先生が試合の前、「マスコミが言うことと俺が言うこと、どっちを信じるんだ! わしを信じろ!」と。明治は本当に強かった。前に出てきた時の明治の強さは北島先生の「前へ」の教えそのもので、それをいかに止めるかということでした。走られる前に止め続ける。いわゆるシャローディフェンスです。これを徹底しました。
村上 国立競技場の通路まで人があふれて、6万人以上入った試合ですね。
寺林 どんどんお客さんが入ってくるので、チケットがなくなって、キャッシュで入れちゃって東京消防庁に怒られたと後で聞きました。
村上 なぜ、そこまで観客が詰めかけたのでしょう。
寺林 あの年の9月にアイルランドからダブリン大学が来日し、オール明治、オール慶応は負けたのですが、オール早稲田は勝ちました。オール早稲田は数名のOBを含んでいましたが、大西先生の言ったとおりにやって勝った。僕は高校から大西先生の指導を受けていましたが、他の人たちも行けるという気持ちになったと思います。実際にシーズンが始まると順調に勝ち、11月23日の早慶戦でも勝った。12月第一日曜日の早明戦は久しぶりの全勝対決でした。
村上 そうした経験から学んだことはどんなことですか。
寺林 ラグビーを通じて学んだことは大きく2つあります。1つはマネジメントで、早稲田の場合は非常に細かく、組織目標を達成するための個人の役割と責任分担がプレーごとに明確になっています。それを徹底し、個人の責任を果たせる人が信頼され、その信頼が厚くなるほど個人も成長し、組織も強くなっていくことを、身をもって体験しました。それが社会に出て組織をマネージするときに、ものすごく役に立ちました。もう一つは、大西先生によく言われたことですが、「リーダーは指示を明確に出せ」ということです。指示が不明確だとみんなが何をしていいかが分からなくなる。指示が間違っていたらリーダーが勉強して直せばいい。これを徹底的に言われまして、その2つが社会に出て非常に役に立ちました。
村上 大西先生に指導で他にも印象的なことはありますか。
寺林 大西先生はものすごくロジカルなのですが、愛情の塊でもありました。私が4年生のときの早明戦は圧倒的に明治が有利と言われながら競り合う試合になりました。ハーフタイムになり、円陣の中で大西先生は何をおっしゃるかなと思ったら、一言だけでした。本当に愛情のこもった声で、「頑張れ!」とおっしゃったのです。これは一番心に残っています。明治に対して、どう戦うかという指示ではなく、心の底から愛情を持った言葉を発した。それはやっぱり人の心を動かすのです。
村上 東京海上日動火災保険会社に入社されたのはなぜですか。
寺林 実は腰痛がありまして本格的には続けず、保険会社に決めました。東京海上でも社員として勤務しながら、ラグビーをし、それからエーコンというクラブチームでもプレーしました。海外への赴任もあり、タイのバンコクではイギリス人のクラブに入れてもらい、アメリカのシカゴでもやりました。
村上 仕事の面でラグビーが役立ったことはありましたか。
寺林 海外でラグビーをしているときも、ラグビーしていたことで一瞬で友達になることができる。不思議ですけど、海外でも同じでした。
村上 今後は、ラグビーとどのように関わっていこうと思っていますか。
寺林 早稲田ラグビー倶楽部の会長として少しでもラグビーに恩返しがしたい。もうそれだけですね。今年の早稲田大学は大田尾監督、佐藤健次キャプテンを中心にとてもよい雰囲気ですので、このまま行ってくれればいいと思いますが、対抗戦グループは非常に厳しい状況が続くと思います。素晴らしい1年生もいて、1年生が良いとチームが活性化しますので、相乗効果でいい方向に行ってほしいですね。ぜひ応援してくださる方々のご期待に添えるようにと思っています。
村上 最後に保護者の皆さんにメッセージをお願いします。
寺林 私が大学生のころ、ラグビーのフランス代表に金髪のフランカーでキャプテンを務めたジャン・ピエール・リーヴという素晴らしい選手がいました。彼の有名な言葉があります。「ラグビーというスポーツは少年をいちはやく大人にし、大人に永遠に少年の魂を抱かせる」。この言葉がとっても印象に残っていて、結婚式の披露宴などでもそんな話をすることがあります。私は40歳になったころにアメリカのシカゴに赴任し、日本の仲間と集まって作ったのが、「シカゴラグビー少年団」というチームでした。少年の心を持ったままラグビーを楽しもうという意味です。ラグビーは2つの自立(自律)を大切にしています。自分で立ち上がることと、自分を律すること。それを子どもたちに植え付けてくれる素晴らしいスポーツだと思います。練習は厳しいのですが、その練習に打ち勝ち、自立し、苦しさに対しても自分を律して戦っていくことで、勝った時の喜び、負けた時の悔しさ、それによって人間として正直、誠実に大きく育っていく。そういうスポーツなのだと思います。我々が経験したことを体験してもらいたいと思っていますし、(ラグビーをすることが)皆さんのお子さんの成長に役に立つようにと願っております。
~完
早稲田ラグビー倶楽部会長寺林努1982年4月1日 東京海上火災保険株式会社
1982年7月1日 東京営業第三部契約第四課
1987年4月1日 本店営業第三部営業第四課
1988年6月1日 海外尝業第一部
1988年6月4日 海外営業第一部バンコク駐在員(スリ・ムアン社)
1993年6月21日 総合営業第一部営業第二課
1997年7月1日 総合営業第一部営業第二課長
2000年7月1日 海外本部米国支店シカゴ首席駐在員(TMM社 2001年7月1日 海外本部米国支店シカゴ首席駐在員(課長待遇)TMM社)
2004年7月1日 海外本部米国支店シカゴ首席駐在員(次長待遇)TMM社)
2004年10月1日 (合併)東京海上日動火災保険株式会社
米国支店シカゴ(TMM社)首席駐在員(次長待週)
2006年7月1日 米国支店シカゴ(TMM社)首席駐在員(部長待遇)
2007年8月1日 総合営業第二部長
2010年7月1日 東京自動車営業第二部長
2012年7月1日 理事 東京自動車営業第二部長
2013年6月24日 理事 アジア部長 兼 シンガポール(TMアジア社)駐在員(部長待遇)
2015年4月1日 執行役員(アジア部長およびTMアジア社・シンガポール(アジア)駐在員(部長待遇)委嘱)
2016年6月23日 常務執行役員
2019年3月31日 常務執行役員退任
2019年7月1日 独立行政法人医薬品医療機総合機構