【インタビュー】坂茂建築設計 代表 坂 茂 〜その2


目の前に住環境で困っている人がいたら、
それを改善するのが建築家の責任


村上 フランスもラグビーが盛んです。現地で話題になることはありますか。
 パリ事務所のフランス人のパートナーもラグビー経験者です。フランスはとくに南の方でラグビーが盛んです。去年のRWCのチケットも取っていたのですが、9月にモロッコで地震があって被災地支援に入ったので行けませんでした。

村上 被災地の支援について、積極的に活動されていますが、どういうきっかけで始まったのですか。
 建築家というのは特権階級のための仕事が多くあります。財力、政治力のある人がそれを社会に見せるためにモニュメンタルな建築を作る。そのお手伝いをしているわけです。そこに虚しさを感じ、もう少し建築という知識、経験を使って一般社会のために役に立つことはないかと思い始めました。1994年にルワンダの虐殺で悲惨な難民キャンプの写真を見て、その改善のために国連にかけあい、コンサルタントとして仕事に携わりました。1995年には阪神淡路大震災があって、ベトナム難民の人たちの仮設住宅を作り、仮設の教会を作り、次第にそちらの道に入って行きました。

村上 ニュージーランドのカンタベリー地方の地震のときも、クライストチャーチに紙の教会を作られましたね。
 東日本大震災直前の地震でしたが、日本人の方も犠牲になりました。あれは向こうから依頼があってボランティアで作りました。

村上 ボランティアなのですね。
 (被災地支援は)すべてボランティアです。東北に月に2回通いながら、ニュージーランドに行きました。教会以外のプロジェクトもあり、空から街を視察するときに、元ニュージーランド代表オールブラックスのキャプテンだったリッチー・マコウがヘリコプターのパイロットを務めてくれました。僕がラグビーをしていたのを知ったクライアントが、パイロットにマコウを指名してヘリコプターをチャーターしてくれたのです。サイン入りの帽子をいただきました。

村上 困っている人のために動くというのは、どんな気持ちからなのでしょうか。
 人のためにというつもりはありません。医者は目の前に怪我人がいたら、医者の責任、業務として治療するわけです。建築のボランティアは、人のためにと思ってやっているのではなく、目の前に住環境で困っている人がいたら、それを改善するのが我々(建築家)の責任だと思ってやっています。

村上 紙を建築資材に使われるのは、どのような発想から生まれたのですか。
 展覧会で木を使って、1か月くらいで壊してゴミにするのはもったいないと思いました。当時はファックスのロール紙の芯が紙管で、それが事務所にとってあったものですから、そこから発想して建築の構造として使えるように開発しました。

村上 今後の目標について聞かせていただけますか。
 日本の将来、東京の将来に危機感を持っていて、「動都」という研究会を立ち上げました。1990年代に「遷都」という考え方が国会でも法令化されたのですが、なかなか実現しない。「動都」は、オリンピックのように4、5年おきに仮設首都を日本中の都市に移していく構想です。各地にデジタルインフラを整えていけば、地方創生に役立つし、一極集中による弊害も改善できるのではないか。そんな研究会を立ち上げて出版の準備をしています。そして、1936年に建設された現在の国会議事堂は現在の建築基準法の耐震基準にかなっておらず、首都直下型の地震があったら議事堂の上のティファニーのガラスは全部落ちます。どこかの時点で補強をしないといけない。その間は仮設国会議事堂を用意する必要があり、その時期は移転のタイミングだと思っています。出版が議論のきっかけになればいいと思っています。

村上 最後にラグビースクールの保護者の皆さんや、ラグビーをやりたいと思っている子どもたちの保護者の皆さんにメッセージをお願いします。
 一般的に皆さんはラグビーを危険だと思って、お子さんがラグビーをやりたいと言っても反対される方が多いと思います。しかし、僕はラグビーをすることによってものすごく体力がつきました。それが仕事、生活にプラスになっています。集団をまとめていく力もつきますし、社会に出て役立つ能力を養う訓練にもなります。ぜひとも子どもたちにやらせてあげてほしいと思っています。

~おわり
■ゲスト
坂茂建築設計 代表
坂 茂

■経歴
1957年 東京生まれ。
77-80年 南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)在学。
84年 クーパー・ユニオン建築学部(NY)を卒業。
82-83年 磯崎新アトリエに勤務。85年坂茂建築設計を設立。東京、パリ、ニューヨークに事務所を構える。
95年 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)コンサルタント、同時にNPO法人ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク (VAN)を設立し、世界各地で災害支援活動を行う。
2010年 ハーバード大学 GSD 客員教授、コーネル大学客員教授。
2001~08年、15~23年 慶應義塾大学環境情報学部教授。
代表作に、「紙の教会 神戸(1995)」、「ハノーバー国際博覧会日本館(2000)」、「ポンピドー・センター メス(2010)」、「紙のカテドラル(2013)」、「静岡県富士山世界遺産センター(2017)」、「大分県立美術館(2014)」、「ラ・セーヌ・ミュジカル(2017)」、「スウォッチ・オメガ本社(2019)」、「禅坊 靖寧(2022)」、「Simose(2023)」、「豊田市博物館(2024)」などがある。これまでに、日本建築学会賞作品部門(2009)、フランス国家功労勲章オフィシエ(2010)、芸術選奨文化部科学大臣賞(2012)、フランス芸術文化勲章コマンドゥール(2014)、プリツカー建築賞(2014)、JIA日本建築大賞(2015)、紫綬褒章(2017)、マザー・テレサ社会正義賞(2017)、アストゥリアス皇太子賞(2022)など受賞。現在New European Bauhaus委員、芝浦工業大学特別招聘教授。



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