【インタビュー】 パナソニック株式会社 エレクトリックワークス社 宮本勝文様 〜その2~


ロビー・ディーンズさんと出会い
3年後に三洋電機を史上初の日本一に導く


村上 香港では7年間仕事をされたということですが、帰国後、ラグビーに関わり始めた経緯を聞かせてください。
宮本 僕が香港にいる間に三洋電機ラグビー部(現在のパナソニックワイルドナイツ)が低迷し始めて、当時の会長からコーチをしてほしいと言われました。僕は仕事がしたかったので最初は断り、日本で輸出のビジネスをして世界中に三洋の商品を売り歩いていました。そこに村上さんから一本の電話がかかってきたのです。「JSPORTSで同志社大学の試合中継をするときに、解説をやってくれないか」と。その後、三洋電機の試合の解説もすることになった。それを見ていた会長から「テレビの解説をしていないで、俺と一緒にラグビーを見よう」と言われました。2人で試合を見ながらいろいろ話しました。そんな経緯で、シーズン途中で僕が監督に就任することになったというわけです。

村上 僕、わりと大きな役割を果たしていますね(笑)。
宮本 そうですよ。村上さんの電話がラグビー界に戻るきっかけでした。でも、僕は当時、中国、インドへの輸出の全営業を統括していたので、会長に「僕の仕事は誰がするんですか」と言いました。すると「仕事は誰でもできる」と言われました(笑)。でも、もっと仕事を頑張りたかったので、「3年で結果を出したら仕事に戻してくれますか」と話して引き受けました。

村上 実際に3年後に日本選手権で優勝したのだから有言実行ですね。
宮本 前任の柴田さんが強くなるための土台を整えてくれていたからできたことです。ひとつは当時強かった関東学院大学から優秀な選手を獲得していたこと。もう一つはニュージーランドのカンタベリー州と契約をして新しいコーチングを受けられるようにしていたこと。しかし、それがうまく機能していませんでした。僕はどちらかというと指示を待っていた関東学大の選手たちに自分たちで考えるように促し、カンタベリー州を本拠地とするクルセイダーズの練習を見に行きました。そのクルセイダーズのヘッドコーチがロビー・ディーンズさんだったのです(現在はパナソニックワイルドナイツ監督)。ロビーさんは試合に向けてのトレーニングのやり方、ゲームのストラクチャーなどすべてを包み隠さず教えてくれました。それが2004年ですから、実はロビーさんはワイルドナイツに関わって20年経っています。

村上 ロビーさんの教えが日本一にもつながったのですね。
宮本 僕は荒川先生、岡先生、宮地克実さん(三洋電機ラグビー部監督)、宿澤広朗さん(日本代表監督)、そして、ロビー・ディーンズさんというすごい人たちに教えてもらうことができました。ワイルドナイツは今では当たり前のように勝っていますが、ずっと続けることはすごいことです。選手が入れ替わりながら安定した力を維持しています。エディー・ジョーンズさんのリーダーシップの本には「スポーツは難しい。果物みたいだ」と書いている。熟してくると腐ってしまうということです。ロビーさんは、熟したものを腐らせない。新しい果実を次々に実らせている。ロビーさんの良さはビジョンがしっかりしていることです。ビジョンを実現させるため、練習方法や必要な選手が決まってくる。ロビーさんに教えてもらったことを浸透させるのに3年かかりましたが、3年後のシーズンに優勝することができました。ビジョンが大事だという点ではビジネスも同じです。

村上 3年半でチームを初の日本一に導いた後、仕事に戻ったのですね。
宮本 三洋電機の役員になったのですが、その頃に同志社大学ラグビー部が低迷し、Bリーグとの入替戦に行くところまで順位を下げてしまいました。OB会から依頼があって、2年間は指導し、大学選手権で帝京大学を追い詰めるところまでは行ったのですが、仕事しながらの週末コーチは難しく、後輩の山神孝志さんに任せて僕はサポートに回りました。5年目で大学選手権のベスト4まで行ったところでコーチを辞めて仕事に専念しました。ドイツに行ってアメリカとヨーロッパの照明の会社の社長、会長を務めて、それを終えて帰国しました。

村上 現在はパナソニック株式会社エレクトリックワークス社で経営企画室上席主幹(兼)スポーツビジネス推進部の部長をされています。
宮本 経営企画はエネルギー関連の仕事ですね。スポーツビジネス推進部では、パナソニックの持っている映像や照明という商品を使って、スポーツでお客さんに喜んでもらい、スポーツチームが潤い、地域の賑わいにつながるという好循環を作ろうとしています。

村上 今後やりたい仕事はありますか。
宮本 スタジアムの中だけではなく、スポーツがあることでその町が潤うようなものを作り、スポーツの価値を高めたいですね。Bリーグは利益が出始めているチームがあります。スポーツ全体が活気づいて利益をあげられるようなものにしたいですね。昔気質のボランティア精神も良いと思っているのですが、選手を除くと、スポーツに関わる人の給料が安すぎると思います。そこをもっと上げていかないとスポーツは良くならないし、僕は社員ですからパナソニックのテクノロジーを使って貢献していきたいですね。日本のスポーツはポテンシャルがあるのに良くなりきれていない。もっと良くしていきたいです。

村上 ラグビーをしている子どもたちや保護者の皆さんにメッセージをお願いします。
宮本 僕は今も子どものようなワクワクした気持ちで生きています。それはラグビーをやっていたおかげだと思っています。ラグビーと同じことが仕事でもできるのです。ラグビーを楽しんで、ワクワク感を積み重ねていけば、大人になってずっとワクワクできると僕は思います。ラグビーも人生もしんどいことがありますけど、しんどいことを楽しんでください。

宮本勝文(みやもと・かつふみ)
パナソニック株式会社エレクトリックワークス社 経営企画部上席主幹 兼 スポーツビジネス推進部部長

1966
年、大阪府生まれ。同志社大学を卒業後、1988年に三洋電機に入社。ラグビー日本代表として、第1回・2回ワールドカップに出場し、三洋電機ワイルドナイツ監督(現 埼玉パナソニックワイルドナイツ)や、同志社大学ラグビー部監督を歴任。現役引退後は社業に邁進し、三洋電機の執行役員やパナソニック・ライティング・ヨーロッパ社長などの経歴を経て、2020年より、現職。


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