【インタビュー】旅客機パイロット 日本ラグビー協会 レフリー 神村 英理様 その1~


初めて体験したラグビーは、
大人げない気がしました(笑)。

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村上 このコーナーでは、ラグビーに出会ったことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。今回のゲストは神村英理さんです。よろしくお願いします。神村さんは、旅客機のパイロットであり、日本ラグビー協会のB級レフリーでもあります。今回は大阪府豊中市曽根にありますラグビークラブハウス98でお話をうかがいます。まずは、ラグビーに出会ったきっかけを聞かせてください。
神村 小学生からバレーボールをしていたのですが、高校3年生のころ(公文国際学園)、大学では新しいスポーツをしたいと思い始めました。私は卒業アルバム委員だったのですが、一緒に委員をしていた男子生徒がラグビー部のキャプテンで、その子がラグビーマガジンを持っていました。そのカラーページに、女子日本代表がアジア大会で銀メダルを獲得した写真と記事があり、私もやってみたいと思ってメンバー表にあった所属チームに連絡してみたのです。

村上 それが世田谷レディースだったのですね。高校3年生で初めてラグビーを体験してどんな感想を持ちましたか。
神村 正直に言えば、大人げないスポーツだと思いました(笑)。ボールを欲しがって、奪い合うのが大人げない気がしたのです。体をぶつけるのも、バレーボールをプレーしていた身からすると衝撃的で、最初は不安でしたが、タックルされたり、タックルするのが面白くなって、制限が少なく、自由度が高いところにも惹かれました。

村上 コンタクトは最初から怖がらずにできたのですね。
神村 体をぶつけるのは楽しかったです。実は練習で初めてタックルされた相手が冨田真紀子さん(女子日本代表、ラグビーワールドカップ2017出場)だったのです。思いきり仰向けにされましたが、こんなタックルをしてみたいとも思いました。

村上 その後数年で日本代表に選ばれますね。
神村 初めて日本代表に呼んでいただいたのは、大学(早稲田大学)3年生の時だったと思います。大学4年生の春に香港代表戦(2012年5月19日、秩父宮ラグビー場)で初めて代表戦にCTBとして出場しました。国歌斉唱が感動的だったのを覚えています。

村上 そのときの目標は何でしたか。
神村 2014年に開催される女子ラグビーワールドカップ(フランス大会)に出場することでした。でも、2013年のアジア予選でカザフスタンに負けてしまって出場を逃したのです。

村上 ラグビーと並行してパイロットも目指していたのですか。
神村 大学時代はラグビーにエネルギーを注ぎました。一年休学して横浜TKMでプレーしたこともあります。TKMを退団し大学も卒業して日本航空(JAL)に入社しました。そこでは希望していた運航業務には行けず、総合職の整備部門で飛行機の整備などしていました。会社にJALウィングス(WINGS)というラグビーチームがあったので、そこに所属しながらラグビーと仕事を両立していたのですが、プレーヤーとしては限界を感じました。

村上 早い段階での引退の決断ですね。
神村 今から思えば、まだまだプレーできたと思いますが意志は固かったです。ワールドカップに出場できなかったこともあって、あと4年頑張るのは厳しいと感じたところもありました。また、パイロットを目指したかったので、決断は今しかないと思ったのです。

村上 JALも退社したのですね。
神村 航空大学校や自衛隊も年齢制限があり、いま動かなければパイロットには一生なれないということに気づいたからです。航空操縦学を学べる大学に進学しました。

村上 どうして、そこまでパイロットになりたかったのですか。
神村 飛行機を利用するのが好きで、航空業界に携わって仕事をするのが夢でした。入社して3年目に整備部門のオフィスサイドに異動が決まり、航空機メーカーと業務を進めていく中で、3年弱の現場経験だけではまったく対等に話ができませんでした。その時の絶望感は忘れられません。航空業ではいくつもの専門業務がありますが、何かのプロフェッショナルにならなければ、この世界では生き残れないと感じました。もともとパイロットになりたいと思って入った航空業界でしたが、整備業務を3年遂行していく中でパイロットに対する思いは、ただの憧れから一プロフェッショナルとして変化していきました。そのなかで飛行機を飛ばし、お客様を届ける航空運送業務の最前線に立ちたかったのです。JALに入社し、航空業界に携わったことで、その思いは強くなりました。

村上 なぜ飛行機だったのですか。
神村 一番早い輸送手段であることと、私は大きなものを機械で動かすのが楽しいと感じるタイプなのです。もちろん、空を飛ぶのも楽しいです。綺麗だし、操縦席から見る景色は何度見ても飽きません。c

村上 航空操縦学専攻のある熊本県の崇城大学で2年間学ばれたそうですが、そこでまたラグビーに携わることになったようですね。
神村 大学の寮と訓練施設が熊本空港に近くにあり、学生も県外の人が多かったのです。このままだと熊本県に住んでいる意味がないし、熊本県の人と知り合いたいと思って、ラグビーのチームを探してみたら、熊本サンデーズというチームを見つけました。プレーもしたのですが、最初の1年は幼児と小学1、2年生のコーチをしました。そこで勧められて熊本県ラグビー協会のC級レフリーの資格を取りました。

村上 そこからどのようにトップのレフリーにつながっていくのですか。
神村 佐賀県で女子のセブンズ大会があるということで、タッチジャッジで声がかかったのが最初でした。日体大女子ラグビー部でキャプテンをされていた上原睦未さんがレフリーになっていて、上原さんがレフリーを務められた試合で私がタッチジャッジをする機会がありました。そのときに上原さんを見てかっこいいと思ったのです。

つづく~
神村英理
兵庫県出身

世田谷レディースでラグビーを始めて日本代表キャップ5
早稲田大学卒業後日本航空に入社後退社してパイロットを目指す。
現在旅客機の副操縦士とラグビーレフリーの二刀流で活躍。


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