「Half Time」あの頃の君へ 〜岩村 昂太〜

「Half Time」あの頃の君へ 〜岩村 昂太〜

ハーフタイム、それは過去と未来が交わる時間。いくつもの喜びや悔しさを味わった今だから伝えられる言葉がある。写真の中の幼い頃の自分へ声をかけるなら──。楕円球を追いかけるトップアスリートからのメッセージ。



「好き」にとことん突き進め
りんどうヤングラガーズでプレーしていた頃の写真を手にする岩村昂太

 「がんばれ」って言葉は、実はあまり好きじゃない。本当に好きなものって、きっと自然と心と体が動き出すと思うから。ラグビーが大好きなら、君が思うように突き進めばいい。

 写真の中、ボールを手にピッチを駆けるやせっぽっちの少年に向かって、三菱重工相模原ダイナボアーズの岩村昂太は優しく語りかける。

 追い求める理想の自身のラグビー像はまだずっと先にある。もっと上手くなりたい。もっとラグビーを楽しみたい。もっと、もっと、もっと…。目標に向かって猪突猛進、岩村はボアー(猪)そのものだ。


苦手なことばかり。ラグビーに楽しさを見つけられなかった幼少期
食わず嫌いで少食だった幼少期。コンタクトプレーがどちらかといえば苦手だった

 苦手なものはトマト。いや、野菜は全部だったかな。あと牛乳も。今はなんでもよく食べますよ。あ、ごめんなさい。今でもトマトは苦手です。よく給食の時間に最後まで残って食べてる子いるじゃないですか。そんな少年でした。とにかく食わず嫌い。だから体も細くてガリガリ。足も遅くて運動会のリレー選手に選ばれたことはないです。アンカーを走ってみたかった。でも、いつも応援する側でした。

 勉強も正直あまり好きじゃなくて、もっぱら外で走り回ってましたね。兄が2人、どちらも地元のりんどうヤングラガーズ(福岡県久留米市)でプレーしていました。その流れで気づいたら僕もスクールに入っていました。確か4歳からプレーしてると思います。

 最初は正直、スクールに嫌々通っていました。体が小さくて足が遅い。加えてコンタクトプレーもあまり好きじゃなくて。なんでラグビーしているんだろう? 幼心にそう思うこともありました。練習ではチームメイトに負けてばかり。ラグビーをおもしろいと思えなかった。そんな幼少期でした。



勝つ喜び、負けた悔しさがプレーすることへの思いを強くさせた
東福岡高校で日本一を達成。自身も高校日本代表候補に選ばれるなど注目を集めた

僕の中でラグビーがおもしろくなってきたのは小学5、6年生頃から。勝ち負けがつくような試合に出て、みんなと喜んだり、悔しがったりを味わうようになってからです。ラグビーの試合では必ずしも体が大きければ良いというわけじゃない、足が速いということが必要不可欠なわけでもない。

 僕にはパスとキックがあった。当時から人一倍練習してスキルを磨いていました。パスとキックなら負けない。その自信がラグビーをプレーする楽しみになっていった。一つ上の学年には日本代表で活躍し、今も同じリーグワンでプレーするスクラムハーフの流選手がいました。今でも「流くん」「こーた」と呼び合う仲です。子どもの頃から一緒によくパス練習してお互いを高め合っていました。流くんは当時からセンス抜群で、憧れの存在でした。

 中学生になって少しずつ体も大きくなり、より高いレベルでプレーしたい、ラグビーというスポーツを突き詰めたいと真剣に思う様になりました。選んだ進路は地元の強豪校、東福岡高校。才能あふれる仲間たちとともに真剣にラグビーと向き合う中で、東福岡のグリーンジャージーに袖を通したい、ピッチに立ってプレーしたいという思いがどんどん強くなった。

 高校2、3年時に花園連覇を達成し、同志社大学に進学。卒業後、2016年にトヨタ自動車(現トヨタヴェルブリッツ)へ加入しました。トヨタでも1年目から10試合に出ることができました。良い感じでした。このままもっと高みを目指したい。

 まさにそんな時でした…



吹っ切れた!とことんやってやろう! その気持ちが新たな扉をひらく鍵だった
新たな環境でチャレンジを。キャプテンとしてチームを引っ張る岩村 (三菱重工相模原ダイナボアーズ提供

 2017年8月、トヨタ2年目の夏合宿で前十字靭帯と内側側副靭帯を断裂する大けが。その夜、一人落ち込んでいた僕の部屋にヒメ(姫野和樹)たち仲間が代わる代わるやってきて、なんでもない話をして僕を何度も笑わせてくれた。こういう辛い時こそ、いつも通りに接してくれる仲間の存在がありがたいんです。笑ってるうちに「大丈夫だ」って前を向けた。

 当時、トヨタの監督だったジェイク(・ホワイト)にも「俺はこれまで多くの選手をみてきたけど、けがの後はみんな成長して帰ってくるものだ。焦らず治せ」とポジティブなメッセージをもらったことも心の支えになりました。家族にも支えてもらいながらリハビリを続けて翌年に復帰することができた。

 ただ、リハビリの間にレギュラーのポジションを奪われ、なかなか試合に出ることができずモヤモヤが募っていました。正直、ラグビーを嫌いになりそうな時期でもありました。環境を変えてチャレンジしたい。そう願って今のチームに移籍しました。

 新天地でのラグビー、ゼロからのスタートというか、もうマイナスからのスタートという感じでした。でも、そのぶん吹っ切れました。もうやれること全部やってやろうって。失うものなんてないじゃないかって。練習や試合までの準備も、日々のトレーニングも、リカバリーも。全部、とことんやってやろう。

 新しいチームに加入して、まず目指したのは仲間たちから信頼を得ること。ひとつ一つのプレーパフォーマンスを上げ、僕自身を信じてもらうこと。そのために1日1日を無駄にせずやり切ることを心がけています。毎晩寝る前にラグビーノートを見返し、前日に書いたことが今日どれくらい達成できたのかをチェックします。

 ノートに記したことができた夜はぐっすり、気持ちよく寝られる。でも、達成できずになかなか寝付けない時もありますよ。大切なのは失敗を繰り返さないこと。明日はきっとできるって思って寝てます。


今、楕円球を追いかける君へ
「難しく考えなくていい。いつまでも大好きなラグビーを楽しでほしい」と子どもたちへのメッセージを語る岩村

 自分自身の子どもの頃を振り返って伝えるならば、いっぱい勉強して、いっぱいご飯食べてほしい。そしてあまり調子に乗るなよって。そう伝えたい。これは今、ラグビーをプレーする子どもたちにも言えること。

 自分の思いや考えを言葉にすることはとても大切。どんな言葉を使うのか、どんな風に声がけするのか。今、ダイナボアーズのキャプテンとして仲間たちにメッセージを伝える時、もっと上手く伝えられたら良いのにと思うことがよくあります。本を読む、国語はもちろん英語や歴史、さまざまな文化を学ぶ、そういう経験が言葉を伝えるには欠かせないから。

 いっぱい食べる。残さず食べる。これは僕が親になって感じたことでもあります。料理したご飯を食べてくれないとやっぱり悲しい。親は子どもがもりもり食べている姿を見るのが幸せなんです。だから無理のない範囲でいっぱい食べてほしい。

 それと最後に調子に乗るなということ。これはまさに僕のこと。小学生の時、ちょっとプレーが上手くいくとすぐ調子にのっていました。そんな僕だから、ついついミスした仲間にきつい言葉を言ってしまったり、責めてしまったり…。申し訳なかった。ラグビーはみんなでプレーするもの、支え合う気持ちが一番大切です。

 本当に好きなことなら、きっと頑張ろうと思わなくとも自然と頑張れる。だから難しく考えることなく、大好きなラグビーをいっぱい楽しんでもらいたい。






岩村 昂太 プロフィール

1993年生まれ。福岡県出身。身長181センチ、体重86キロ。三菱重工相模原ダイナボアーズキャプテン。ポジションはスクラムハーフ(SH)。東福岡高校では日本一を、同志社大学では関西大学リーグ制覇を経験。強みは正確なロングパス。ニックネームは「こうた」。大好物は両親が鳥栖市で営む「かつみ屋うどん」の肉うどん。※三菱重工相模原ダイナボアーズHPより


中学生の頃の岩村。この頃から少しずつ体が大きくなっていった(本人提供)


同志社大学時代、日本では珍しい大型SHとして注目された岩村(本人提供)

りんどうヤングラガーズの先輩、東京サントリーサンゴリアスの流大と試合後に肩を組む岩村(三菱重工相模原ダイナボアーズ提供

三菱重工相模原ダイナボアーズでプレーすることへの思いを語る岩村



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